杉田八幡宮 | 杉田八幡宮参詣のしおりより、転載。 |
鎮座地 | 横浜市磯子区杉田5−2−1 |
創立 | 康平六年八月 |
御祭神 | 應神天皇(誉田別命) |
例祭日 | 平成弐拾年年は、八月二十三・二十四日でした。(現在は、土日に合わせています。) |
御由来 | 境内地は弐百八拾八坪にて杉田町の鎮守である。 今より九百壱拾四年前後冷泉天皇の御代、康平六年八月の創立と伝う。 天喜五年九百壱拾九年前 鎮守府将軍源頼義公その子八幡太郎義家公と共に勅を奉じて奥州の安部貞任を討ち宗任を降ろして帰路武州、相州両国に鎮祭して、山城国石清水八幡宮を勧請し、永らく源氏の武運長久を祈願しようと、 頼義は鶴岡八幡宮を義家は杉田八幡宮を勧請されたのもであります。そのときが康平六年八月である。 後年建久三年大将源頼朝公より当社に社領を授けられて久良岐郡の総社と定められたものであると伝う、それから四百八拾余年を経て、延宝二年には時の領主間宮左衛門尉信広が社殿を再建して、永一貫参百文の田園及び山林を寄贈し、久良岐郡壱拾弐箇村の総社と定められる。後間宮家他に移住するに至ってからは当社も衰退し、総社の名を自ら廃滅するに至った。 明治六年村社に列せられ、大正十一年五月神饌幣帛料供進の神社に指定される。その後社殿の荒廃が甚しく昭和四三年社殿の御造営が行われ、同年八月竣工され現在に至る。 |
狛犬 | ユニークな狛犬です。 碓氷峠の方にも、同じような狛犬が、あるそうです。 ![]() ![]() 杉田八幡宮の封筒にあった、イラストです。 いい感じですね。 |
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杉田の梅の由来 | 元来、米作りには不適切な杉田は約四百年前 領主 間宮信繁が、梅樹の植付けを奨励その実を 売って生活の一助とさせたのが後年杉田梅林 となった起因です。最盛期には三万六千本に も達し江戸中期から明治前年にかけて多くの 文人墨客が杉田を訪れました。この梅林も 現在ではその面影はなく僅かに妙法寺境内に 数十本を数えるのみで、地名として梅林団地、 梅林小学校などがその名残を留めております。 |
磯子区 区政80周年 記念誌より 転載です。 |
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磯子区 区政80周年 記念誌より 転載です。 |
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磯子区 区政80周年 記念誌より 転載です。 |
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磯子区 区政80周年 記念誌より 転載です。 |
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プララ杉田の 名前の由来 |
このビルは、横浜市の再開発事業として長年地元と協議した結果 出来たビルです。 そこで、広く名称を募集したそうです。 当時の市の広報誌にも募集の広告が出たそうです。 平成3年に募集 応募は、295件 平成4年2月14日に決定。 プララとは、磯子の区の木の、「梅」を意味する ”プラム” と ラテン語の”LA”場所の意味 を組み合わせた造語。 戸塚区平戸の木村さん(男性当時72歳)の方の 案でした。 昔、杉田は、広大な梅林があり、 江戸から見物の人々も訪れたそうです。 残念ながら、杉田梅は、あるお寺などに数本を残すのみとなりました。 小田原には、杉田梅の子孫が、残っています。 |
首都高速が出来て便利になりました。 磯子、杉田2つとも、どちらも近いです。 ***************************** ご質問は、トップ店長高岡まで。 〒2350033 神奈川県横浜市磯子区 杉田1-17-1プララ杉田2階213号室 電話045−775−1129 |